2015年05月19日

弱くデリケートでとても繊細。

おひょー


足痛いんで、吉住さんにアドバイス貰ってきた‼
足を少し休めよう


さて、
天神道場に行ってきたわけですが、足の痛みに耐える方に必死で、感覚的なものを意識出来なかった。

今日はせっかくの稽古なのに。

ということで、
明日は、痛みで足がまともに動かないので、おやすみします。

木刀の素振りは続けるぜ‼️w

ネタ話ww
本には書いて無いですよ。笑

感受性を高める。

これ、大切ですね。
やろうとすると
相当難しいですなぁ。

感受するためには、自分の心も開放しなくちゃいけないから。

開放すると皿の上の小麦粉が風で飛んでいく様に、自分の器の上にあるものが簡単に吹き飛ぶ。

そして、ただの器になる。

そこがスタートかもしれませんね。笑

自分を開放すると内なる扉が開いてしまう。

裸の自分になってしまう。

だから、
もう一つまた扉を作って、
そこから目だけで
そっと外を見るんですよ。笑

よかった。ここまでは来てない‼️
と思いながら。

その扉や壁の位置は人によって違う。
それは一線を引くなんて表現することが多いみたいだね。
それは大概、自分が嫌悪している且つ最も弱い部分。
そっと触れられるだけで、社会で生きてる自分が崩されてしまうくらい。
それくらい弱くデリケートでとても繊細。

人間関係の難しさでもあるような気がするな。笑

そして
案外、
自分はこうだ❗️
と意識していても、他人にはそう見えていない部分が多い。

人間関係なんて、そういう部分で齟齬がおこるもんだろな。笑

人と性格が合う合わないなんていうことがよくある。

でも、仲良くしたい。
もっと言うと、構って欲しい。
そんな心の裏返しかもしれないね。笑
人は構って貰えると嬉しい。嫌悪感を持つ人は少ないでしょうな。

本当は合わないと思う人こそ最も関わり合いたい人かもしれませんね。
でも、その人と関わると、自分のデリケートな部分を本能的に突かれそうなことをわかってて、一歩踏み出せない。
そんな風に感じる。

偶に
その扉を開ける前に突き破って見向きもせずに通り過ぎるくらのパワーを持った人がいる。

高速で通り過ぎても、感じ取るものはちゃんと取ってるんですよね。

そういう人が自分にとっての生涯の師匠となったりするのかなぁ。

弱い部分を突かれる前に通り過ぎるんですよね。
そういう人たちは。

でも、感じ取ってはいますよ。

だから、相手に合わせて話せるんだと思いますよ。

そういう人の話す言葉は
何年か後になってフラッシュバックするんだよな。

自分の感覚が、教えてくれた人に近づいていくたびに、果物の皮を剥くようにベールが剥がれて見えてくる。

今言われてる言葉は大切にした方が良いですなぁ。

でも、
その時の自分はまだわからんのですよ。
過去の積み重ねの上でのアドバイスだから。
教えてもらった言葉は経験量という土台の上に乗ってるから、なおさら咀嚼できない。

だから少しでも早く近づくために練習や稽古をこなす。
量をこなすとスキルに繋がるし、自分と向き合うから精神の成長も促される。

だから、チャンスがある限り同じ稽古を続けること。飽きて逃げたくなっても、泣きながらでも続けること。
自分が優秀だと思ってると、ゴール地点を勝手に設定して、足が止まる。

日々、成長を自分自身に啓発していくこと。
そして行動していく。

同じ鍛錬を続けることは本当に難しい。

でも続けることで研ぎ澄まされ、神様と呼ばれるくらい突き抜けることになるんじゃないかな。

継続は力なり

本当に重く深い言葉ですな。

※写真
一枚目、いつものヤツですよww
二枚目、ウチの犬です。笑俺の膝をペロペロしてますww

  

Posted by stouthia at 00:24Comments(0)